【稽古場の見学をしてきました〜群像劇『プロミスト・ランド』/ぷろじぇくと☆ぷらねっと 】

 

昨日、人生初の舞台稽古の見学に伺いました。

ちょっとだけ、まじめにご報告いたしまする。

 

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…これはそう遠くない近未来、14人の、日本の色名を名に持った者達の物語。

 

「プロミスト・ランド」。それは選ばれた者だけが居住をゆるされる安全地帯のこと。

 

14人の登場人物は、2018年現在では「マイノリティ」と称される生き辛さを抱えた者達で、劇中では彼らの中学生・大人・老人の三世代が演じられていく。

 

主人公の双子の姉妹、美人の姉・朱殷(しゅあん)と、絵の天才ながら接触アレルギーのため対人に障害をもつ妹・朱砂(しゅしゃ)が、「プロミスト・ランド」へのパスを得たことを契機に、物語は回り始める。

 

LGBT精神疾患、青少年の自殺、子供の喪失、ギフテッド、恋愛対象の是否。

 

14の和の色名に、それぞれの役がつく。

その色達が、各々の軌跡を描いていく。

時に交わりながら、時に憧れながら、時に絶望しながら。

時に交わることすら許されず、全く別のオブジェクトを描きながら、

それでも個の色を失うまいと、むずかる様に生きる彼らがいる。

 

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なぜ、たかが生きることが、こんなにめんどくさくって、

あっちこっちにぶつかったりするんだろうなあ。

 

ああ、せめて多数派に役に立つ者であれたら、少数派でもそこそこ珍重されるのに。

それはただ消費されるだけかもしれないけれど。

 

平凡以下の少数派は、少なくとも「今」は、ひどく強いられる。

 

では、近未来ではどうなのだ?

 

どう、ありたい?

 

稽古を見つめながら、私は考えていた。

 

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ここでは、「生きる」ということが様々な言葉、トーン、響で表現されている。

「生きたい」のか。

「生きねば」ならぬのか。

「生きよう」なのか。

「生きるのか」なのか。

 

囁くのか。

歌うのか。

叫ぶのか。

黙るのか。

 

与えれた命の在り方に、受け手たるヒトは口を挟むことはできない。

それは、一方的な「恩寵」なのだ、受ける側が苦痛を覚えようとも。

その恩寵を持って、いのちを使い果たす。

それが、「使命」なのかもしれない。

 

ただ、できることなら。

 

その「いのち」が、無為に闘うことではなく、

 

明日を迎えることが、少し楽しみになるような。

そよぐ風をはらむ、洗い立てのシーツの様な。

そんな小さくても良いから、

日々のほのかな光にあふれたものであれば、と。

 

そう願った、稽古場からの帰り道だった。

もしかするとそれは、芝居中の何人かとも重なる願い。

 

詩人、役者、主宰の日疋士郎さんに稽古見学への招きをもらったその日、13時から21時までひたすらに稽古を見続けて倦むことがなかった。

 

古い小学校の教室、

残暑の迫る中空に、不可視の透明の球体が浮かんでいた。

台詞とともに、動きとともに、

色のついた呼気に似た「モノ」が、少しずつ溜まっていく。

その球体が満たされた時、芝居は完成するのだろう。

 

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