君に、逢いに行こう ー2017年七夕茶会 再掲ー

赤坂には、川の名を戴く緑の杜が、町の真中に、不意にある。

 七月七日。

それは、天にかかるこの世で最も壮麗な川を、皆が仰ぎ見る日、

とある物語の逢瀬が叶うようにと、たわいない思いを抱く日。

 この日。

とある赤坂の緑の杜で、とある茶会が催された。

         『七夕茶会〜茶と中国茶で巡る星物語〜』

…古来、中国から日本に伝えられた織姫と彦星が年に一度の逢瀬を叶える星物語。その起源に因み、幻想的な七夕のしつらえのもと、お抹茶と中国茶で皆さまをお迎えいたします。…

 

抹茶席は、赤坂氷川茶道教室。

中国茶席は、茶禅草堂。

 

今宵の客は、二つの茶席を順に巡り、双方を味わうこととなる。

 時は、夜。

待合には、無農薬の桑の葉の冷茶が準備された。

集まった客は自由に茶杯を取り、まずは喉を湿らせる。

 

ー 織姫の機織りには、さぞ上質な絹糸が用いられたことだろう ー

ー 絹糸を生み出す蚕も、さぞ健やかであったろう ー

 

中国茶人・岩咲ナオコ師の優しい想像が、まずあった。

そして、蚕を育て、人の身には美と滋養を与える桑の葉茶を供する案へと、

思いが広がったのだった。

 午後六時。

 

静かに、待合に楽の音が響きだす。

楽器を奏でながら先を歩く雅楽師の後を、客は並んでついて行き、

前の組は抹茶席に、後の組は中国茶席へと導かれた。

 

各々の茶席には、古式ゆかしく油に浸した灯芯につけた火を、群青のガラスに仕込んだ灯りが、

そこかしこを埋め尽くすかのごとく、畳の上に散りばめられていた。

 

青のガラス越しに揺らめく瑠璃色の灯りは、数多の星屑。

 

七夕の茶席に天の川を描こうと、ゆるやかな流れを模して置かれた灯りの数々。

 

こちら側の茶席のくっきりした光と、

風にゆらめく仕切りの薄布を透かして見える、向こう側のふわりとした光が、

混ざり合い、響き合い、この世ならぬ「逢瀬の場」を開こうとしているようだった。

 

 客が落ち着き、茶席が始まる。

 

 中国茶席で供される茶は、中国の緑茶、「顧褚紫笋(こしょしじゅん)」。

唐代には皇帝に献上される茶の一つとして讃えられ、茶聖とうたわれる陸羽にこよなく愛された希少な名茶である。

 

一年の、ほんのわずかな期間のみ。

一芯一葉もしくは二葉を丁寧に手で摘んでいく。

どこまでも繊細な葉は、どこまでも慎重に、大切に。

生まれたての鮮やかな新緑をそのままに、一切を人の手で茶葉に調製する。

 

「それでは、中国の緑茶、その香りと滋味をお楽しみください。

今回は、1000年余をさかのぼりまして、唐宋代の様式をふまえた作法で、

淹れさせていただきます」

 と、茶人による案内が、静かに響いた。

 

設えられた茶席は、自然の流木が用いられた自然色。

 

押さえた色調で宵闇に寄り添いながら、なお、ほんのりと浮かんで見える、

乳白色の茶杯に、淡い水色の茶鉢。

 

天の川を彷彿とさせる茶道具のあしらいは、夢のような心地を客に味わわせた。

 

客に手渡された小さな茶杯には、

うっすらと緑が見えるか見えないかほどの透明な水色に、「顧褚紫笋」がゆれる。

 

含めば、甘味。

    そして、立ち上る蘭にも思える花の香と、かすかな焙り香。

    飲みくだしても、なお口中に残る滋味。

 

その何れもが、どこまでも静かに、清らかに、滑らかに。 

茶杯を干して目を瞑る客は、はるか彼方に思いを巡らせるかのようだ。

合間に供される茶菓子には、干しなつめに胡桃を詰めた、茶人手製の品。

繊細な中国の緑茶には、干果物ほどの甘味が調度良い。

 

夏の養生を踏まえた茶菓子に、客の笑みと会話がこぼれ始める。 二煎目の茶杯が巡る。

普通、煎を重ねれば、味も香りも変化するものだ。

濃く薄く、高く低く、と。

 

  ところが煎を重ねてなお、安定した味を調えることが、茶人の真骨頂なのだ。

  刻々変化していく湯の温度、量、その日の気温、湿度、そして場の力。

  これら全てを読みきって、幾度もの煎の質を一定に保つことは、

  客に、常に最上の一杯を献じたいという茶人の祈りにも似た心。

  

やがて、滑らかに喉を潤した茶の、最後の一滴が尽きる。

 

空の茶杯が客の手を離れ、名残惜しそうに茶托に戻された。 

 

じじ、と、炎の燃える音。 

隣の抹茶席から、客の立つ衣擦れの音。 

ふわり、と、風に舞う薄布の幕。 

 

ああ、いい夜だ。 

 

夏の濃紺の夜空に、明るい月。

笹に下がる、短冊たち。

ゆうるりとした時の流れに、皆がゆれる夜。

 

穏やかな笑みが満ちた一期一会。

どうか皆が、満ち足りた思いを胸に抱いたまま、

逢うべき人と出逢うことができますよう、と、願う。

 

たとえ、どんなに時がかかっても。

 

1000年を超えて届いた茶に託された、ささやかな願いが、聞こえた気がした。

  

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