Please, Mr. Dotman 〜 Pixel Art ParkでLegendに逢った・序章〜

ーまたは、ヒトの認知領域に対する一つの挑戦のカタチー

 

「俺、レジェンドに逢えるんだー」

仙台在住のゲーヲタの友人ぴこさんが上京の連絡を寄越した時、ドヤ顔でそう付け加えてきたのがそもそもの始まりだった。

 

世の中に「ドット絵」というジャンルがあることくらいは知っていた。

(…筈だ)。

 

スペースインベーダーや超初期のゲームボーイのキャラクターのように、ちっさい四角を集合させるカクカクしい絵画表現だよな…という認識は間違ってはいなかったはずなのだが、異様な熱量で盛り上がり続けるぴこさんは、クールな現状認識でさらりとすませることを許してはくれず、Messenger上で、facebookグループの記事内で、彼はレジェンドの功績と作品をマグマのように熱く垂れ流しもとい奔出させ、こちらの興味を引きにかかったのである。

 

レジェンド、小野浩さん。

またの名をMr.ドットマン。

 

今なお、神ゲーと讃えられる「ゼビウス」、ファンの愛着の叫びを搾り上げる機体「ソルバルウ」のキャラデザインを始め、数々のドットアートを世に送り続けた人。

 で、ググってみた。↓

Mr.ドットマン

え。

ええと、そんな人が、そんなちょっとお茶してくるみたいなノリで逢ってくれちゃうんだ?ぴこさんと?

 

(*ぴこさんが状況を補完してくれたので、彼のコメントを挿入しておきます)

【ぴこさん】

状況とか文脈ははしょると俺スネ夫みたいだね(笑)(  ̄▽ ̄)

全ては小野さんの優しさと気さくさのおかげで。

会えることになったんだけどね。

あとは大和の友達大和住んでてくれてありがとう。

なんだけど(笑)(  ̄▽ ̄)

あとはまっこさん。やっちゃん。式と披露宴別日程でありがとう。

おかげで次の日小野さんに会えました。(  ̄▽ ̄)

って感じ(  ̄▽ ̄)

  

(すみません、諸々雑駁な掴み方で…by あゆ〜ら)

 

気さくなレジェンドだなあ…と、思いながらそのままググる

と。

どかっ

と、脳髄をぶん殴られるような代物に出会った。

 

…なんだこれ。

 

それは、16✕16ピクセルで、古今東西の名画を表現している作品群だった。

 

クリムトの「接吻」、ムンク「叫び」、「モナ・リザ」、「真珠の耳飾りの少女」etc.

…ドットで細密画を描き出すのであれば、すごいなあと感動もするし感心もする。

超絶数多のドットを微妙なカラーリングで配置していけば、どんな対象でも画像にできる。もちろん誰にでもできることではないし、センスが物を言うそれは技術も知識も熟練も必要だ。だが、それはPhotoshop等のアプリでもある程度は自動でできることで、頭打ちする感動が、そこにある。

 

だが、これは。

縦横たった16個ずつ。ベタ塗りで色分けされたドットが並ぶ。

それだけだ。

そこには絵画における筆のタッチや絵の具のグラデーション技法はほぼ機能せず、なめらかな輪郭線も存在しない。

だが、しかし。

明らかにそれが「それ」だと分かるのだ。

誰が見ようがこの絵は「コレ」だと、「分からされて」しまう。

16✕16ピクセルの名画を見た瞬間は、

「うわあすごいなあ、ふふっ」

という、ある種のどかな驚きと感激を覚えるのだが、その直後、脳内で何かのスイッチが入るのだ。

ちょっと待て。

わたしは、何故「コレ」をそれだと認識できるんだ?

絵・写真と鑑賞者の間には、認識の共有が存在する。

「『コレ』はあれですが、いかがでしょうか」

「なるほど、あれでありましょう」

そして、描画者が捧げる提示を鑑賞者がおもむろに受け取り、コレはそれだね、という決着を得る。

ところが16✕16ピクセルの「真珠の少女」は、コレがそれであるという認識において、鑑賞者に凄まじい共鳴の強制を図ってくるのである。

「ほら、『コレ』」

「あ、はい!!!!!!」

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この16✕16ピクセル、私は確かにあの名画だと認識する。

 

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これなど紛うことなき「麗子像」だ。

 

Mr.ドットマン、小野氏がかの名画のエッセンス中のエッセンスを掴み取って絞り上げ、ほんの数滴までに精錬しぬいた結果がそこにある。

 

では。

名画を「これ」足らしめている「要素」とは一体何なのだ?

絵の要素はバランス、色彩、構図だろうか。それでは極限まで単純化・省略化・リサイズ・再構成を経てなお残る、対象の真髄とは一体何なのか。

 

一体ヒトは、何をもって、対象を認知・認識し、識別するのか?

私は一体何を、

この絵に、

求められている?

 

 グルグル考え始めたら脳が沸騰しだし、

「意味わかんない、何だこれ!」

と最後に私は叫んだものだった。

 

とまあ、意味不明な方向に壮大な感動を覚えつつ、ぴこさんのそれは嬉しそうなレジェンドへの賛辞に撃ち抜かれつつ、ドット絵なるものが意識に住み着き始めた…のが今回のイベントを見に行くという一連の、始まりだった。

 

・・・・・ 

 

1)ドット絵を描く人(ドッター)は、しばしば「ドットを『置く』」という言い方をする。
2)「掟」(おきて)の語源は「置く」である。これは英語のLaw(掟)と奇しくも共通しており、その語源はLay(横たえる・置く)となっている。

3)そもそも「掟」とは神が人に守るようにと「置いた」ものである。

4)であるなら、「置く」という概念を持つドットアートという行為はプリミティヴな祈りや呪いに近いものとは言えまいか。だからこそ、共感強制力、脳内補完要請力、熱狂発動力を根源に持つのではないか。

 

などと、厨二病的な思考をしていたところ、ぴこさんが自作のドット絵を載せたタイムラインに小野さん御本人が降臨。

 

びっくりしました(真顔)。 

小野さん、本当、気さくでした(思わず片言になる)。

 

そして、↓へ行くこととなった。

 

pixelartpark.com