仕事と作業、勤めと務め。
今の会社で任されているコトのほとんどがいわゆる作業。
私がそのコトを、作業だとさげすんだから、
そのコトも私をさげすんだ。
やればやるほど心の中に呟きが湧き、
作業を仕事に昇華させようとあがいては、いらいらとする自分がまた情けなく、
いただいた仕事を心の底から感謝して受けられない自分を最低だと罵る。
そんな日が続いていた。
土曜日、久しぶりに、針仕事をしてみた。
二時間、あっという間。気がつくとすっかり気持ちが凪いだ海のようであった。
さて、針仕事など作業の際たるもの。
だが、私が会社で作業と戦う時と異なり、ひたすら無心に行う。
だから自分で自分を罵る言葉はその間一切、発せられることも聞くことがなかった。
してみると、余計なノイズの入らない作業は、本質的には心と体を整えるものなのだ。
どんなに大きな仕事にも、多大な割合の作業が存在する。
それは、仕事にあたる上での条件を整えると同時に、心を作り、身構えを備えさせる意味がある。
9割の作業の果てに、エッセンスのように仕事をする場が与えられるのだ。
どうせやるべき作業であれば、無心に行えばよいのだ。
そうした務めの先に勤めがある。
なあんだ、今頃気づくんだから、馬鹿だなあ。