ようやく、桜が散り始めた。
お花見になかなか行かないし、春はうつむいて歩きがちな季節なので、
散り始めてようやく、
肩先に落ちる花びらや、小川に浮かぶ花筏や、
地表から空まで舞い上がる花片に、
桜の咲いていたことをカラダで知る。
わたしは、桜の華やかな有り様について行かれない。
一人病院の窓から眺めた桜、
人気のない日曜日の、飯田橋から市ヶ谷の川沿いを、歩きながら見た桜、
山口の万葉の森に出向いて、母と二人で黙って眺めた桜。
桜の思い出は、いつも寂しさとともにある。
それでも毎年、京都には桜を見に行ってみたいと想うのは、
かの、名コピーのせいでもあろうか。