まいけるさんと、かなしみと、よろこびと。

マイケルさん、出る。

いや、だからそんなこと言ってる場合じゃなくてね、まじめに、まじめに。

マイケルさん(あわわ)の、白熱教室を見ました。

うーむ。なんだか、とっても馴染み深いお話です。というか、いいお友達になれそうな気がしております。(何様だ、おまえは。)

さて、来年にむけて、考えていることはですね。

「悲しみから、はじめよう。」

私はそう、思います。

正義とは何か、その問いにどうして皆が格闘し、悩み、議論がころがるのかというと、
正義はけっして「こちら側」には無い、ということを受け入れられないからではないでしょうか。

【こちら側=人間】

絶対の正義を、何とか自分ができる形、理解できる概念にしようとするから、
格闘が始まる。

絶対に人は正義を貫けないとしると、怒りを感じ、
こんどは理想の高みにある正義を、「実現可能」なものに格下げしようとする。

徹底した正義など、人には決して行えません。

それを、まず正面から悲しむことが必要だと思います。

何をやっても的外れ。

それを知れば、怒れません。
赦しを請います。
赦しを請うてきた人を、許したいと願うでしょう。

正義は我の外にあり。

その謙りと自己否定から、対話が始まるのだと思います。

ええ、もちろん、こんな姿勢でいると、
どこまでも追撃されることも多いでしょう。

にも関わらず、怒りを放棄し、悲しみから始めるところに、

喜びへの道があると、そう、知っているような。。。

そんな気がしています。

悲しみを否定しないこと。

喜びはそのさきに、きっとある。




あー、よろこび、よろこび。





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