黒子のバスケ。独り言。

来る7月17日は、日本の暦でいうと鷹乃学習。

高尾の日ですね、これは。

そもそも私が同人誌をしってからはや?十年。その間、ついぞBLだのを許容したこた、ありませんでした。
いえ今も、許しちゃいませんし。
でも、高尾をしって、ああ、セイシュンのモダモダってあるよなあ、と思った訳です。

おそらく彼らは、モダモダをモダモダのママにしておくという余裕が無く、
強い指向性の持った感情=愛情と、何らかのカタチに落とし込んでしまいたかったかもしれませんねえ。
あ、ここの彼ら、というのは、高尾くんたちではなくて、二次創作者の方々。

友情、師弟愛、相棒愛、憧憬、執着、嫉妬、愛着、支配欲、崇拝、尊敬、庇護欲、
おまけにそれらに到着する以前のモダモダな感情が、スペクトラムのごとく人には存在しているわけで、また、複雑に絡み合っている訳で、昔々はそのモダモダをモダモダのまま抱え、歩き、大人になって行った訳です。

そのモダモダを「それって愛(*含む性)じゃん」と周囲がくるりとまとめてしまうのは、メール文化で「思いの消化」が即時にタイムラグなく行われることに慣れてしまったコトの弊害かと思われる、今日この頃です。曰く、「モダモダした思いをモダモダ保有していることに耐えるスタミナがない」ということ。

高尾くんのモダモダは非常によくわかる訳です。
相棒への愛着の強さ、痛い程良く分ります。
キセキへの嫉妬、己の可能性への期待と付いて回るポテンシャルへの疑念。
で、私は、というと。
そのモダモダを、モダモダごと、私は深く、愛しちゃいます。
で、義兄弟の契りをかわすぜ真ちゃん!みたいな、やはり健全な方向へ行ってくれると、


…嬉しい。