恋なんざ 遠かろうとも 上がろうし 近かろうとも 消ゆる花火ぞ /タダの芋子

今年のT橋花火大会も、のんびりと終わった。

あたりに高いビルも無いので自宅のベランダからもそこそこ見えるとはいえ、この猛暑に花火をみる気力すら失せ、当日は自室で冷房の涼気に浸りベッドの上で本をむさぼっていた。

すると、

どどど、どん。

と、閉め切った窓など軽く無視して夏のあの音と振動が、ヘソを揺さ振った。

はじまったか。

やはり起き上がるのも面倒で火の華を見ようという気にはならないのだが、この音、この振動は肌に迫り、なるほど花火はたとえ見れなくても聞こえなくても、花火は花火としての鬱陶しいくらいの存在を示すのだなと、ぼけっと考える。

これぞ花火の心意気ってやつか。

15分程その状態を堪能するうちに、やたらリンゴジュースが飲みたくなったので近所の店に買いに出ることにした。

自転車をこぐ。どどん、とまた花火があがる。おー、と、こぎながら天を見上げる。こりゃ、実物を見るのもいいもんだねと当たり前と言えば当たり前の感想を呟く。横断歩道の信号待ち、首を後ろに傾けながら口をぽかんと開けて見上げていると、隣の家族連れも同じ体勢で花火を見ている。

この横断歩道は小さな公園の真ん前にある。がちゃりと自転車を止めて、公園の石垣によいしょと座った。電線にとまった雀共のように、老若男女善人不良、ヤンキーカップルにちょいニート系、多種多様な人種(?)が等しく空を見上げている。アホ面で。平和な顔で。

いいかげん喉の乾きを覚えたので自転車を再び起こし横断歩道で待機していると、目の前を街バスが通り抜けて行った。

ごごっと、花火を隠し、バスが行くとまた花火が現れる。

どどんどどん。

日常と連続した花火とは存外贅沢な物なのかもしれないな。


都心から遠いので声をかけるのをいつも躊躇っていたのだが、来年は声をかけてみようかな、なんて思う。

まだこの辺りの公園では手花火を許可してくれているので、大きい花火を待つまでの間こどもみたいに小さい花火に興じるのもいいかもしれない。

公園の近くには銭湯があるので、じっとりかいた汗をながすこともできるし、銭湯からちょっと歩くと、台湾点心が美味しいお店もあるし、


あ、でも、わたしイベント起こすの下手だからな。


また「思い」だけで止まりそうと苦笑していると、信号が青になった。

そういえば句会がもうじきだなあ。


「約束は 線香花火の 灯り玉」