うつくしい、さようならを。

2014.5.25(日) 

こんにちわ、皆様。

昨日の土曜日、習い始めたばかりのヴォイストレーニングの先生が、
アナと雪の女王」の挿入曲「ありのままに」の、サビの部分についてお話ししてくださいました。

あの時のアナの動き、声楽の理にかなっているんだそうです。
足を踏み出しては腕を差し出してそれは気持ち良さそうに歌う、かのシーン。

体重移動、それから腕をめぐらす動作によって、
肋骨が十分開き、横隔膜が効いて、声がそれはそれは響くんだそうです。

「なりきりアナ」の動画がYOU TUBEに山ほどあるのは、
意識していないのに声がどんどん響いて行くことが、本当に気持ちがいいからでしょうね。

さて。

誰でも毎日、出逢って別れての繰り返しをして生活をしています。
特にその「さようなら」の場面で、「うつくしく別れる」ということを、
していきたい。そう思います。

その「さようなら」で、本当に良い?
その「さようなら」が最期のさようならになってしまって、再会がもうかなわぬとしても、
後悔はない?

と、自問します。

別れは毎日あって、出逢いも毎日ありますから,
つい、この別れも昨日と同じもので、いつものちょっとした「さようなら」だということに慣れてしまいます。

でもそうではないのです。

先日、25年振りにずっと音信不通だった兄から、急に我が家に連絡が入りました。
ある日ふっと行方をくらました次兄です。
その兄は、今末期がんで入院しており、既に声が失われておりました。
そのようにメールには書いてありました。

もう兄の声を聞くことはかないません。
兄の声など、もうとうに忘れてしまっております。

兄との再会がかなうのか、それすらもまだ分りません。

だから、是非、もう一度考えてみていただきたいのです。
うつくしく別れる、ということを。

許せないと思ったまま、さようならをしないように。
許せないと思わせたまま、さようならをしないように。

そんな、さようならを出来るように、日々の中で備えられるように。

うつくしいさようならを、できますように。
そして、かなうならば、又、うつくしく出逢うことが出来ますように。

今日一日も、皆様にとって良き日でありますように。