春宵、 吉祥寺Parisienne、出逢いと別れと。

パリジェンヌ、吉祥寺。
30年を超え、街の人々に供し続けた日々を閉じようという2月29日、お別れのパーティに向かった。
会社を出る直前のトラブルが小骨のように気持ちに刺さったまま、少しばかり遅れての到着に気持ちは快晴というわけにはいかなかった。
勢いで「私も参加させてただきたいなあ」と言ってしまうも、快くOKしてくださった増井シェフの優しさに、当日まで、ボッチ参加であることに思いが廻らなかった。
ううん、店でポツーンと蚊帳の外状態になったらちょっと体裁が悪いなあ。
でも、まあ。
何とかなる。
パリジェンヌは私にささやかだけど数々の奇跡を見せてくれた店だから、
何とかなる。
そう思って店に入った。
宴はとっくに始まっていて、あちこちで話の環が出来ている。
数々のワインは抜かれ、グラスは並び、料理は大皿にたっぷりと。
「冷蔵庫やセラー、空にしてしまおうと思ってましてね」と、
増井シェフが言っていた通り、何もかもが饗応の卓にあった。
そこには又,溢れんほどの人と、笑いと、ちょっとの涙があった。
暖かな空気をやや離れた所で、ほこほこと見守りながら、お世話になったパリジェンヌの最後の姿を眺め、「ありがとう」と心に思うのならば、それはそれで十分淋しくはないなあと、ご隠居気分でいたところ、
「お一人ですか?こちらへどうぞ」と、招いてくれた二人連れ。
感謝いっぱいで卓に混ぜていただき、互いを紹介あう。と、何と。
男性は、私がいつか増井シェフに紹介していただきたいと思っていた人でした。
「ソイビーンファーム」という味噌料理専門店にいた方で、私の出身地、山口県周南市(旧徳山市)のご出身。(あのね、新南陽高校だってさーーーー!と、同郷の友にチクっておこう)今は新しく店を開く過程にあるとのこと。
女性は「私、こちらで俳句をやっていて」。。。。え?
そう、パリジェンヌは、2ヶ月に一度、ランチ句会を開催しており、その発起人がこの方だったと言う。(日本酒好き、着物好き。)
俳句を詠んでいる人と、なんの関係もない場所で遭遇する機会は、そう、ない。
で、盛り上がる盛り上がる。
吉祥寺の街文化のこと。食のこと。俳句のこと。酒のこと、そして、店のことを。
今日最後だと言う店のことを。
最後の最後までパリジェンヌは私に出会いをくれた。
自分のレシピを余す所無く弟子に公開し、何一つ隠す所の無かった帝国ホテルの村上信夫氏。
フランスで日本人初のミシュラン星を得、後進の若い料理人たちフランス修行を支えた、中村勝宏氏。
その直系、堂々たる料理の森に立つ木の一本である増井シェフは、やはり惜しみなく、
人を育てては送り、迎えては育てた。
人と人を結びつけては、街に送り出した。
ありがとう、以外のなんの思いがあるだろう。
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あらんかぎりの食材のマリネ、パテ、ロースト、コンフィ、エスカベッシュ
フレンチスタイルのクロケットには、蜆のソース。
一度やって見たかった、フォアグラ増井スタイルの、「ゴハンのっけ」。
芋とカボチャの各々のプディング、マシマロ、ショコラ、パウンド、コンポート。
片っ端から消えて行く。そして次が来る。
それでもペースが落ち着いた頃、私の集う教会の、信仰の大先輩であるI森さんが、
相変わらずの洒落たニッカボッカースタイルでお見えになった。
こんばんは、と、声をかけ、同じ卓のお二人連れに紹介させていただくや、あっという間に増井シェフに呼ばれ、店の真ん中で、お得意のバイオリンをご披露することに。
サン・サーンスの「白鳥」を。
やだなあもう。このタイミングでこの曲なんて。
ぐっと来ない訳が、無いじゃないですか、I森さん。
でもありがとうございました。バイオリンと、聖書のことのお話をできたことで、心の刺が溶けました。
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気がつくと、個室にずっと鎮座していた洋梨が丸ごと仕込んであったボトルや果実酒までもが気前良くぱっかぱっかと空いている。
おお、とうとうご開陳かあと思っていると、今日はありがとうと、増井シェフはバッカスさながらに、エルダーフラワーの実を何年もつけ込んだと言うスコッチを小脇に抱え、こちらにやって来る。
「泣かれちゃいましたよ」と、はにかんだように笑うシェフの表情は、多分忘れられないなあと、思った。
やがて、時は来る。
最後の最後まで居残るのは、私なんぞの役目ではない。
それは、パリジェンヌが本当に心許せる人達の、
影に日向に店を支えてきた人の特権だろう。
さようならや又逢いましょうの約束を交わして店を立つ。
吉祥寺から、美しい巴里のお嬢さんが一人、歩み去ろうとしている浅い春宵、
少し滲んだ月が、呟いた。C'est fini.
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