Ad astra per aspera


“Ad astra per aspera ”「困難を通じ、天の世界へ」
これはラテン語の古い言葉で、ボイジャーが搭載する、様々な地球の文化を記録したゴールデンレコードに収められて、今も宇宙を渡っています。
そう、いつだって、難しいのです。生きることは。
時には、「なぜ」と問いたくなるような、困難だって訪れます。
でも、私達は、何とはなしに心の深いところで、知っているのです。
ゴールにたどり着くための道は大概凸凹で、転んだり泣いたり笑ったりするもので。そんなこんなの内に鍛えられ、磨かれ、遂には完走するアスリートとして、ゴールテープを切る者になるのだ、ということを。
だから、歩を、止めないでいようとします。
でも、道のりは、険しい。
時には、うなだれることもあるでしょう。たまには、嬉しいこともあるでしょうが、時には、人を陥れ、裏切り、思うままにふるまうことも、時には、裏切られ、罵られ、あげくに忘れさられることもあるでしょう。
…前に進まなくちゃ、行かなくちゃいけない。でも、行くにはもう、何の力も出てこない。
とぼとぼと歩く道があります。
その道のりを、手を取り伴走してくださるために、天より下られた方がいます。神様の位を捨て、全能の力を捨て、ただ人の姿を取られた方がいます。
あなたの涙も悲しみもすべて共にしようと、もしあなたがあやまちを犯したなら、その罪をかわりに背負おうと。そして「私が代わりにすべての罰を受けよう」と。
「だから、安心してお行き。」と。
そう、私たちはボイジャーより、うんとうんと幸せです。1人、虚空の宇宙を行くのではないのですから。
ずっとともにいてくださる主が、
そしてゴールしたあかつきには、両手を広げて抱きしめてくださる主が、いるのですから。
クリスマスとは、そんなことを知る日です。
心静かに、行ってらっしゃい。
イザヤ書 46章 胎内にいる時からになわれており、 生まれる前から運ばれた者よ。
あなたがたが年をとっても、 わたしは同じようにする。 あなたがたがしらがになっても、 わたしは背負う。 わたしはそうしてきたのだ。 なお、わたしは運ぼう。 わたしは背負って、救い出そう。