雛祭りに、日本髪を結うこと。

【雛祭りに、日本髪を結うこと】


ー又は「自分結い 大江戸和髪学会」を見学に、

ラーラぱど“主催「女性1000人~大人ひな祭りParty,2018〜」に弾丸特攻の段ー


3月3日は雛祭り。


先だって、Kakoさんからタウン誌「ラーラぱど」が大人の雛祭りイベントを行うから、いかが?とのお誘いを受けた時には、「お着物だと無料よー」との言葉に、うっ!とはなったが、諸事情により断った。


で。


その日、朝8時から着物着付けの自主練を開始。

涙目になるくらいに決まらない。


なぜかというと。


①身幅がめっちゃ大きい、

②柔らか着物で、

③昔の、短めの名古屋帯で、

④このワタシが補整ミニマムで


…という無理ゲー重ねて四つに切るくらいのことをしておりまして。

気にいる裾線が、「美しい手つきで(ここ大事)」現れないので、試行を重ねる。


で、気がつくと朝ごはんも食べずに11時。



何だかヤケクソになってきて、ええい出かけてやる、Kakoさんにサプライズかましてやるとばかり、着物にコートをひっかけて、

西新宿の雛祭りイベントへ、れっつらごう。


おめあては、「自分結い 大江戸和髪学会」、林良江さんを中心とした、自髪で和髪(日本髪)を結う方々のブースだ。


今回は希望者に髪結いを施し、「和髪姫」にメタモルフォーゼさせてしまおうという企画のもの。


会場となったホテルの別館二階に到着して、あっという間に目を奪われる。


日本髪の造型は、『ルーズ』『抜け感』『ふわふわ』『KAWAIー」を良しとする現代のヘアスタイルとは一線を画していることもあり、今の暮らしの中では普通には見かけない、ある意味非日常の髪型ではある、というのが今の私の見解、ではあったが。


息を呑んだ。


そこには、一切の媚びのない、端正と可憐の姿があった。

後れ毛の一つを許さない、一筋の毛の流れの乱れも許さない丹念さを誇りとする日本髪。


ところが、その矜持を支える大江戸和髪学会の方々の手の、何と優しげに愛しげに、女性たちの髪を扱うことか。


後れ毛は、かすかに触れて丁寧になで付ける。

流れの乱れは、元の流れをあやすように整える。

そこに一切の無理も負担も起こさせない。


そうして慈しむように手をかけられていく女性たちの顔には、次第に静かな自信が花灯りの如くに瞬きはじめる。


「撫子」、という。

なでしこには二つの意味がある。

花の名前と「撫でるように愛しむ子」。

手間をかけられることと愛されること、結果生まれる「愛し子」が、その生に誇りを持つように…満ちていくものがあった。


できましたよ、と、声をかけられた刹那、

女性の頬に、桃の色がふうわりと灯る。


わあ、と、声にする方、しない方。

いずれも少し目を潤ませながら、ありがとうといって席を立ち、歩き出すその姿。

ほの明るい光を放って、まるで可愛らしいぼんぼりのようだ。


花開く女性たち。


ならば。


花を開かせた方々は、春告鳥だろう。


柘植の櫛が、ひらりひらりと羽根のようにはためく度に、一枚一枚花弁が開いていく。

あちらこちらと立ち位置を、くるくると飛び回る小鳥のように変えながら、

小首を傾げてはまた髪をついばむ。


やがて、ふわりと全てが満開になったそのときの春告鳥たちのあり様を、

私は忘れることがないだろう。


出来上がりの日本髪が生まれたての春の光であるかのように。

仕上がりを潰さぬように両手をそっと、少し離して丸めてかざして。


祈るように目を細め、ふっと笑みほころんだ彼女たちの佇まいを。



雛祭り。

姫になることができる、そんな日。

{469FEF63-916B-4FE6-867E-E31783100F30}