幸せは白和えのように。

「白和え」は、日本の食卓においてとっておきの品だと思います。
他の国の料理にもこのような品は見当たりません。

その一品があることで、食卓の「格」を一段あげる、
そんな力が白和えにはあります。

誰かの家に招待されたとします。
そのオカズに白和えがあれば、それは、その家の主の
歓待のしるしだと、私は信じてやみません。

それほどの手間と思いが、白和えには必要だからです。

さて、白和えですが。
具を、その等量以上のたっぷりの衣で和える。
具を食べるようであり、衣を食べるようでもあります。

具には季節感を取り入れつつ、四季を写しこんだ白和えが
料理人の肝いりで供されます。

春はほろ苦味のふきのとう。
夏はさわやかな胡瓜、衣に少し酸味を忍ばせて。
秋はもっとも豊かな季節にふさわしく、
華やかな菊、甘やかな柿、薫り高い茸たち。
冬にはぼってりと重めの衣に、霜をうけて
ちりちりとちじれたほうれん草。

たしかに外国料理にも似たようなものはあります。
ディップとか、ペーストとか、テリーヌといった類ですか。
でも、あくまでそれは、
何かにつけて、もしくは乗せて食べるものであり、
単独の皿では存在しえないものです。

料理の人、辰巳さんも和え物に関しては格別な思いを抱いておられるようです。

おもしろいことに、白和えは、どんなに豪奢な具材をもちいても、
●●が美味しかった。
とはならず、ああ、美味しい白和えだった、と、まるっと包括した
食後感をもたらします。

料理人は際立った個性の持ち主をを取り集め、
下味をつけて手なずけて
季節への憧れや食べる人への思いを盛り込んで、
最後に自分の分身ともいえる衣で、たっぷりと、
ふうわりとくるみこんで、
そっと主菜の横に置くのです。

・・・そんな、白和えのような本を読みました。

白和えの個性は具が作り、
味は衣が作るように、
家庭の個性は男が作るならば、
家庭の味は女が作る。

家庭をになうことに穏やかな誇りをもつ
女性が作った、まろやかな一冊です。


人との関わりがもたらす喜びと、
思うに任せないことへの小さな怒りと、
日々のほろ苦い哀しみと
暮しの中のささやかな楽しみを、

取り揃えて慈しみ、
幸せとは何かという堅苦しい問いに、
軽やかに答えを「はいどうぞ」と差し出してくれる。

そう、先日、MAKKOさんから、それはそれは、おいしい白和えが届きました。

白和えのおすそ分け、です。

はい、お後が宜しいようで。

Makkoの幸せのおすそ分け―Makko流、幸せをつかむ生き方―

http://www.soriq.jp/soriqbooks/life.html

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