出汁はりて 風呂つかいたや おでん宵

今週は、ぐずぐずと体調の優れない日々だった。

一日が終わると、関節に風邪由来の独特の痛みがたまっているような、
そんな感じで、木曜日はとうとう動けず、会社を休んでめまいと格闘していた。

翌、金曜日。
この日は、ランチでしょっちゅうお世話になる、
また、生まれて初めて一人呑み、一人小料理屋を体験した櫻茶家で、
いのちのおでんの夕べが企画されておりました。
築地で仕入れた極上の出汁材から、梓川のように澄み切った出汁をひき、
赤ん坊なら3人くらい行水できそうな大きな行平鍋で、
ふうわりふわりとおでん種をあやしていくという。

朝からなんとなく体も不機嫌で、気持ちがいまいち曇り空で、
今日は無理だな、行けないな。
はやく連絡入れなくちゃ。
そう思いながら終業時間を迎えた。

この1週間、何が食べたいのかも分らなくて、
とりあえずなんか食べていたけれどちっとも嬉しくなかったのですが、

ふと。

お出汁がのみたい。

そう思いました。

真っ正直な、けれんのない、お出汁がのみたい。
そうしたら、なんだか体のチャンネルがあってくるように思う。

久しぶりに何らかの味を求めたからだとこころにうなづいて、
美肌餅肌美人さんの同僚Yさんの耳元でおでんおでんとささやいてそそのかし、
結局櫻茶家へ転がり込みました。


ほんわり。


大きな大きな鍋から、かおりの湯気がたちのぼる。
この店で知り合った方々と肩を並べ、
隣にすわった赤ちゃんに好き好きされ、
Yさんから「伝心」をぐい飲み一杯分お酒を分けてもらい、
彼女とはオタク話をいったりきたり。

ここのお客様方は、ほんとうに気のいい方々で、
わたしなんぞを同席させてくれる。。。

大根だよね。まずは。おつゆじゅんじゅん、じゅわわわわん。
色白のぷくんぷくんにふくらんだはんぺんに、鬱金からし、ポトリと落とす。
卵はお楽しみにもう少し後で、
ちくわぶとすじは、山口県民としておでん対象外とさせていただき、
牛すじ。・・・もう少し歯が強ければ。。。でもむぐむぐ。コラーゲンってうまいわ。
手作りのさんまのつみれ、えびだんご、つくね。まるまるとして福福し。
水晶のごとく透明に供されたジャガイモは、さらりとほどけて舌のうえで涼しいほどに、
すっきりとした仕上がりで。
お待ちかねの卵は、ぽくぽくと、卵星人のほっぺたをくすぐる。

でも、一番のごちそうはお出汁。

いのちのお出汁は、舌の上、味蕾をとおり、舌の脇から口腔の全ての粘膜をするりとおおい、
喉へと滑り込む。

お出汁がとおるカラダの細胞一つ一つが、よろこびの声をあげて迎えている。

化学調味料がはいっているモノは、カラダのどこかで、コツン、とあたってしまう。
どこかの細胞が、「あ、でもこれ、ちがう。」と、拒否をしてしまう。
元気な時は、その拒否すらも『ジャンク風味」として味わうことが出来るから、
それはそれで食べることが出来るのだ。

しかし、心身弱っているときは、そうはいかない。

真正、まっすぐな素材でないとカラダが同化できないから、飲み下すことすらが出来ないのだ。

完全にへばっていた私は、この出汁でほっと、3歩分くらい生き返った。

まっすぐなお出汁は、舌の上に嫌な残り方をしない。
絶妙に残る後味は、食べ進めるごとに水彩画の重ね塗りのように色味を深め、
次第にある造形を形作る。

それは、その人の、味の芯。

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ふと、過去を思う。

あの頃には、考えられもしなかったことを、今、やっている。

やれている。

やらしていただいている。

それは、あまりにささやかな、あまりに庶民な、
あまりに卑小なことで。

でも、それすらできなかったあの頃がある。

ありがとう。

もうじき、師走です。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。
けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。
マタイ第6章