初めての聞茶の会は「五感の解放」でした。

五感を開く最初の鍵になるのは、香り。
茶禅草堂。中国、台湾のお茶を供し、また頂き、時空を愉しむという「茶禅」での初めてのお稽古は、聞き茶の会への参加でした。
テーマにそって先生が選んだお茶3~4種を、ゆっくりと喫するという会があって、
そのときは4名だったかと思いますが、お仲間に入れていただきました。
頃は、早春。
私以外は皆様顔見知りの仲良しさんだということで、多少緊張しつつ、でも、
「皆さんお茶好きな、気持ちのいい方だから大丈夫ですよ。」との師の言葉に甘えまして、
知識0の状態でしたが、伺いました。
戸越にあるこじんまりしたお茶室には落ちついた艶のある木の卓に椅子。
木組みの薬箪笥にはさまざまな茶壺(急須)や茶杯がころころと並び、
卓の脇ではお湯がちんちんと湯気を立てて。
そんな中に戸を開けてこんにちは、とうかがうと、優しい顔々がにっこりと、
屈託なく迎えてくれました。
まずは寒かったでしょうと、焙煎の深いお茶を供してくださるので、ほっと一息。
自己紹介やら小さな話をしていると、先生が下さったその日のリストにあるのは、
厳選のお茶達が3種。
お菓子が2種。
先生手ずから茶禅のスタイルで淹れてくださるその様は、目にも端正で美しく、一差しの舞いを見る思いがしました。
茶葉そのままの香り、温めた急須にいれたときの茶葉の香り。
まずは各々、深く聞いてみます。
と。
甘い、深い、ナッツのような、ミルキーな、スモーキーな、森のような。
辿れば五感が開いていくのがわかります。
先輩方は評茶用語をご存知なので、的確な表現をされますが、
フリーダムに感想を言う私なんぞのことも「オモシロイ!」と、
一緒に楽しんでくれて、これもほっとして。
とぽぽ、と、湯が茶葉に注がれた途端に、
青龍の如く立ち上り、空を駆け巡る清新な香り。
その香りの向こう、かすかに辿れる蜜の香り。
感じ尽くそうとしているうちに、目の前に差し出される小さな茶杯。
黙礼して口元によせると鼻腔にふわりと寄せるより濃い香りにくらくらしながら、
口に含みます。
と、口中に広がる琥珀を溶かして翡翠を混ぜ込んだかのような、
輝かしくもあたたかい味が広がり、喉を落ちればその後に、
ふい、と甘みが戻ってくる。
先生、すごいすごい、すごいです!
と、夢中になれば、じゃあ、たっぷりどうぞ、と、
溢れるように幾杯にも茶は淹れられて。
山が変われば、茶が同じでも味が変わる。
これはもう少し高い山で、と出されたお茶は、
いっそうすっきりと気高く、杯を持つ手が震えるほどに、
高貴な色と味、香りのもので。
小さな茶杯から溢れ出てくる情報量に酔ってボーゼンとしていると、
こっちに戻っていらっしゃい、とばかりに、微笑みと一緒にお菓子が出てきて、
そのお菓子をぽりぽり食べていると、姉弟子と先生がお茶談義をしていて、
それは私に、幼い頃、山口の我が家でお茶のお稽古をしているオトナ達を、
なんとなくカッコいいなあと眺めていたことを思い出させて、
ふいにあの頃の故郷の香りすら思い出させて。
茶を含む。
目を閉じる。
すうっと、味と香りが、感覚の中で、一点に集まり、一粒の珠になります。
その珠を、いつまでも捕らえておきたいと願うけれども、
やはり一期一会。時が過ぎれば、また、消えましょう。
でも、その小さな凝縮した珠は、場の縁とともに、美しい記憶としていつまでも、
席を共にした方々との間にとどまってくれるのだと、思われて。
数時間、五感を開ききった後の夕方の帰路は、
辺りの風景が何だかいつもより雄弁だったような、気がしました。

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