ヘンな生き物としていきる、ということ。

土曜日、LOCに高校生と一緒にPCをお勉強すると言う、
簡単なおボランティアに参りました。

・・・

マンガアニメ好きニコニコ厨がこんな所で役に立つとは。

てか、

自己紹介で「ヘンな生き物です」と言った時に、
にこやかに受け入れられたことで、
何かもういろいろ吹っ切れたきがします。


最近ちょっと平和で小幸せです。
それは、また一段階、これでいいやのハードルを下げたからでしょう。

「人として扱ってもらえる」

というところから、

「珍獣として迷惑かけないようにすみっこにいるかわり迫害されない」

というところで行こうと思いましたら、無戦闘でいられるものです。

今、被災地や避難所で、発達障害等ハンデを背負った人達の有り様が問題となっていますが、そんな仲間達に、今は勝負に出なくていいと、伝えておきたい。

定型には理解する回路がない、そもそも異なるのだから。
でも非常時には数の論理が物を言い、大多数の定型側が正義になる。
親でさえ上手くやっていってほしいという目で訴えてくるし、とけ込めなかったら何故なのかと失望される。

そのギャップは、日常であっても埋めることがむずかしいのに、
非常時であれば正義の名の下に断罪が、少数派にくだることが多くなる。

だから、逃げててほしい。
うまくなんかやれなくていい、とけこめなくていい。
静かな所を探して、時間をやり過ごす、それでいい。
昨日と同じ一日を得ること、それがどんな難事業であるか、
分る人はちゃんといる。

定型の眼に殺されるないで。
他からの期待に押しつぶされないで。

定型達の、あさってな方向から来る同情や、
見当違いの援助に感謝の振りをすることで、
すり切れて行く必要は無い。

歩み寄るタイミングは、やってくる。

でも、それは今でなくても、いいのだから。