淡さの滋味
良い日本茶は、茶葉の量を抑えめにしたとしても、「薄く」入るのではなく、「淡く」入るのだ。
「淡さ」は、滋味の一つである。
これは、力の無い雑に作られたお茶には敵わない境地である。
と、台湾茶、中国茶に加えて、煎茶の「春恋」、「八十八夜」の冷茶を毎日拵えてこの夏を生きながらえている私は、昨日、その茶の作り手に向かって熱いパッションをぶちまけてきた。
昨日、句友にして茶友にして変友と会って、久しぶりに「話」をした心持ちになった。
彼女の実家は静岡で「さすき園」というお茶業(何ていうんだろ、こういうのは?)を営んでいる。
お茶全般に造詣が深く、というより、ナチュラルにカラダの血管にはお茶が流れているのが道理ですが、何か?というような存在である。
ところが、お茶至上主義では無いところが、とてもステキな人だ。
また、行くね。