一つ蔵で同じ音の響きに揺れてみた。〜無限なるチェロの響き −徳の蔵− 〜

爪でぴしりと跡をつけたような細い細い月を左手に、ごく普通の商店街を歩けば7分。
 
正しく向かっているのかどうか少し不安になる頃合いに、「徳の蔵」は見えてくる。
 
長野飯山から東京に移築した、築150年になろうかというこの蔵で、チェロの演奏会があると知ったのは1カ月前のこと。この方々が主催なさるならば、と、心惹かれて、キャンセル待ち直前のところで券を御用意いただき、ようやく足を運べた。
 
その宵。
ぎりぎりの時間に到着したので挨拶もそこそこに、でも里依さんとのハグは欠かさずに(これ大事)、はいごめんなすってと蔵の中に入る。中には縁台のような椅子が置かれ、ちょいちょい詰めて座れば隣の方と肩も触れ合う。何とも親しみのある空気に、ほっと息をついた。
 
時至って始まった、徳の蔵を娘とばかりに慈しむオーナーの前口上は、こそばゆい程の微笑ましくも眩しい蔵自慢。善哉、と思っているうちに、
 
ぎい。
 
と、蔵の正面、木の重厚な扉が開く。チェロ奏者のChristopher Gibson氏が秋の夕闇の中からゆるり、と現れた。
 
お楽しみ下さい、との言葉の後の一曲目は、サン・サーンス「動物の謝肉祭」より「白鳥」。
おや、一曲目にこれ?と、プログラムを見て思った戸惑いが、チェロが鳴り出すと同時に見事に嬉しくひっくり返された。
 
バレエ「瀕死の白鳥」の色を帯びて、いつでも余韻嫋々抒情特盛で演奏されることの多いこの曲、下手をすると陳腐に落ちる。泣けとばかりに煽られればかえって興が冷めるというもの。一曲目なら尚のこと、演奏会の安売りになりかねない。
 
が。
この白鳥には死の影はなかった。健やかな若鳥が、のびやかに羽を広げ、湖面を滑っていく。
鳥たる生命を愉しむように、曲は流れる。
シンプルな音色が心地よい。
 
実は、蔵の中ならば特殊な音の響きになるのでは、との思いがあったが、この抑制に満ちた安定は、他の影響を受けない奏者の力量か、と、やや肩透かしを食らいながらも、そのまま聞き入る。やがて白鳥は、もちろん息絶えること無しに、すい、と良いキレ味で姿を消していった。
 
無伴奏曲へと演目は続く。
 
次第にチェロの音は厚みを増し、深みをたたえ、豊かな流れを作り出す。
音にこめられる声なき言葉が、雄弁に語り出す。
 
そこで、ふと感じた小さな違和感。
 
聖堂ならば、音はまず天蓋向かって駆け上がり、そこから恵みのように降り注いでくるものだ。ホールならば、三方から包み込むように、音が抱きに来るものだ。
 
翻って、「これ」は、どうだ?
 
確かに目の前に奏者は一人だ。なのに、なぜ、もう一人いるかのように、しかも、それは消えたり出たりするのか、まるでゆらめく陽炎か、きらめくプリズムのように。
 
解は、すぐに得られた。
蔵が、鳴り始めていた。
 
チェロの声に呼び覚まされた蔵には、気に入りの音があるようで、気紛れに音を拾っては、ぽーん、と、長く長く響かせる。その残響が上から横から、四方からランダムにやってくるものだから、目の前から流れてくる音楽と、中空を飛び交う音楽とで、あたかもチェロが二台、三台あるかのようで。そして、ふいに一台に戻る。
 
曰く、夢幻。
 
…考えることを放棄した。
 
まるで遊び足りない童女のように、蔵はお気に召した音を手毬にして、気紛れに音を手にしては、ぽーんと放る。
 
ああ、楽しいねえ。すてきだねえ。おもしろいねえ。
 
いつしか両の指は、いや体、そして骨までも、じんじんと音の波に共鳴していた。
一つの蔵で一つの音に共に響いている。仲間はずれの一人もなく、皆が此処に、共にある。
 
それは、人と共にあることが壊滅的にヘタクソな私にとっては、泣きたくなるほどの嬉しさだった。
 
Gibson氏の後ろ、蔵の床の片隅には夏の名残りの蚊遣りの豚。
大きな口をぽかんと開けて、何だ何だ、何がおこっているんだい?と、客を、私を見ていた。
 
ここからは、2人で演奏いたします。また音が変化しますよ。
とのGibson氏の紹介を受け、教え子だという関氏が、奏楽に加わることになった。ふむふむ、今度はどうなるのかな、と、おっとり構えていたところ、曲が始まると同時に息を呑んだ。
 
それまでは、琥珀のように硬質で理知的な美しさだった音色が、ベルベットの温かみと柔らかさで、蔵に満ち始めたからだ。
 
それは、教え子を迎える師の慮りであったのか、師の響きを支えようと言う教え子の思慕であったのか、聴衆をもてなそうという師弟の心の一致だったのか。それら全てからもたらされた賜物だったのだろう。
 
いたわりの音が生まれていた。
一曲一曲、たとえ終わろうとも両の手には響きが感触として残り、音楽の結晶が触れるかのようで、拍手でその結晶を損なうことすら惜しくて、手を合わせあぐねているうちに、
最後の曲が終わった。
 
弓はしばし宙に留まる。
 
ぽーーーーーーん、と、最後の音を、蔵は、長く、長く、長く—。手鞠を空高く放り上げたかのように、音は放物線を描いて巡り行く。
 
「きょうは、たくさん、あそんじゃった」と、蔵の童女が言う。
うん。そうだね。
「もうかえる」
うん。遅くまでありがとう。
「じゃあ、ばいばい」
うん。ばいばい。
 
やがて、音は、果てた。
 
チェロ弾きのGibsonは、来た時と同じ、蔵の扉を開いて、夜の帳の中へ去って行った。
今は眠ろうとする蔵の中、くだんの蚊遣りの豚が、ぽっかり開いたその口でいったのは〆の口上。
これにて、おしまい。
 
 
 
 
 
…もしかしたら、続く。